第22回村岡ダブルフルウルトラランニング(44km)参戦記(レース後半)
(完走祈願に地元の方からランナーに配られたわらじのお守りです)
(以下の画像の出典は全て大会要項によります)
おはようございます。
村岡ダブルフルウルトラランニングの思い出を綴った連続ブログ、最終回となります。
疲労困憊であけぼの山荘まで上ってきた後のこの区間は長板にある第25エイドまで上った分だけ下るコース。
スタートから2時間以上経っていること、またアップダウンの連続で、かなり脚への疲労が進んできました。両下腿の筋肉は下りの力を借りてどうにか進む、という状況に。そして、とうとう長板からの平坦で脚力が尽き、歩きと走りを交互に繰り返しながら前に進みました。この区間では、「あと〇km」の看板の数字の減りがとても遅く感じました。
この区間、後続を追走する選手が見えないとはいえ、ずっとびくびくしながら歩を進めていました。
また、大会コースをウォーキングで踏破する、という同時イベントの参加者の方々から励まされつつ、前へと進んだのを覚えています。
第5関門~ゴール
第5関門を通過したのはスタートしてから約3時間後のこと。限界を突破したであろうふくらはぎを水で冷やし、補給してから、最後の一二峠(ほいとうげ)越えへ。
スタートしてすぐ、私は絶望しました。上り坂ですから、平坦地以上に辛い。言うことを聞かなくなった足を懸命に前に出しながら進みますが、目の前に見える景色は上り坂の連続。緩む気配も、平坦になる気配もありません。
その途中、村岡に伝わる話のプレートが突如出現。これには、この大会に出場する44kmの全選手分への応援メッセージもあります。44kmの出場は約600名。数m間隔で規則正しく並ぶプレートを一つ一つ数えつつ、また伝承話を目で追いつつ気を紛らわせたのは記憶に鮮明に残っています。
4km余りの上り坂は、普段なら何とか走れる標高差ですが、この日は果てしなく長い4kmに感じました。「上り坂あと50m」の表示を目にしたとき、ようやく安堵出来ました。
一二峠頂上の最終エイドに疲労困憊で到着すると、もう走る気力は99%失われていました。
(この休憩中に女子44kmの部の優勝選手に抜かれてしまいました)
それでも重い腰を上げてスタート。足は爆発寸前で、下りなのに何度も歩こうか、と思う有様。それでも、ラストは悔いなく、とひたすら走り続け、残りの距離表示が4km、3km、2kmと減る度に元気をもらい、ゴール地点の村岡小学校が見えると、よくここまでやれた、と感慨深くなりました。
そしてフィニッシュ。
記録証をもらったところで、「これも」と小さな赤いポーチを渡されました。
記録は3時間57分53秒。辛うじて難コースで目標のサブ4を達成することが出来ました。
見ると「世代別第1位」とのこと。これには驚きました。
しかし、表彰ラインの6位にはあと一歩届かず、それの方が遥かに悔しかったです。
来年はリベンジを、とこの時既に決意していましたが、このご時勢の波には抗えず、その目標は2021年への宿題となりました。
ここまで3回に亘って、去年出走した第22回村岡ダブルフルウルトラランニングの思い出を書きました。私の経験からは、練習不足の現実を容赦なく教えてくれる厳しい大会だということが真っ先に挙がります。
それでも、地元の人に愛される大会であり、この44kmの道を走れたことは幸せでした。もし興味を持たれた方がいれば、来年是非ご自身の目で大会の様子を確かめて頂ければ、と思います。
長くなりましたが、ここまでです。お付き合い頂き、ありがとうございました。