2020年を振り返る(上半期編)

大みそかを迎えました

 2月以降は新型コロナウイルス感染症が猛威を振るうなど、色々あり過ぎた2020年も今日で最後です。SNS上でも多くのランナーさんが年間活動報告を行っていることから、今日は2020年をランニングの面、社会情勢の面から自由に振り返って行きたいと思います。
 昨日のブログでも書きましたが、トライアルマラソン後に発生した故障で当面休養となったため、今年の走行距離も29日時点のデータで確定しました。

1月:高槻シティハーフでPB

 今年1月19日に開かれた第28回高槻シティハーフマラソン。多くの参加者で賑わい、私も3月1日の丹波篠山ABCマラソンへ向けてのステップレースに位置付けて出走しました。
 当日は気温が上がったため、防寒装備を整えて出たのが空振りに。走っていてかなり暖かく感じました。おかげで体がよく動き、終わってみれば85分7秒(グロス)のPBをマークし、「篠山でサブ3だ」と意気込んで会場を後にしました。(その後の事態は当時全く想定にもありませんでした)

1月走行距離:214.8km

2月:クルーズ船での新型コロナウイルス感染拡大

 2月になり、横浜港にやって来たクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス」の乗客に新型コロナウイルス感染者が判明しました。船が何日も埠頭に留め置かれた状態になっていたのは今も鮮明に記憶に残っています。
 その後、着地検疫での水際対策もむなしく、月内に国内感染者が発生。2月最終週に予定されていた各地のマラソン大会が「感染対策が難しい」と中止に追い込まれました。
 私が走る予定だった丹波篠山ABCマラソンも中止が決まり、目標が目の前から一瞬にして消え去るやり場のない悲しさに支配されました。

2月走行距離:216.2km

3月:香住行きも頓挫

 3月になると更に感染の状況は悪化し、春シーズンの締めくくりに走る予定にしていた香住・ジオパークフルマラソンも中止となりました。大都市マラソンも「エリート限定レース」となり、寂しいものでした。
 この間、私の通う大学も感染症対策によって卒業式が無くなり、私の「卒業式」は結局所属研究室で先生と二人きりで行う羽目に。大会もことごとく中止となり、果たして今後どうなるか、という不安ばかりで練習するモチベーションが低かったのもこの時期です。

3月走行距離:209.2km

4月:緊急事態宣言発せられる

 4月になって出されたのが「緊急事態宣言」。これによって大学院の講義なども全てオンライン化し、学生は大学の敷地内から締め出し、ということになりました。海外では「よほどの事情でもない限り外出禁止」という厳しい制限が課せられ、日本もいずれそうなるのではないか、と不安ばかりでした。
 基本的に練習はマスクなしでやっていたので、これを街行く人に見咎められるのでは、とビクビクしながら走っていました。その結果、年の後半にかけて「早朝練習」というものが一つのルーティンとなって行きました。

4月走行距離:229.8km

5月:Tペース・起伏走で走力強化を図る

 大会が無くなっていたこともありますが、「さすがにスピード練習をしないとまずい」とTペース走に取り組んでいたのが5月頃です。5月頃から気温が上がり始め、終わって帰ると汗だく、ということも少なくありませんでしたが、「ここで頑張ることが秋の村岡ダブルフルにつながる」と念じて走っていました。(この時はまだ開催判断待ちの段階でした)
 世間的にも感染者の状況は緊急事態宣言のおかげか落ち着きを取り戻し、さあここから日常が少しずつ戻るかもしれない、とうっすら期待を持っていた時期です。

5月走行距離:245.6km

6月:ブログ開設

 6月を迎え、「コロナ禍だし、せっかくだから何か新しいことを」と思って始めたのが本ブログです。書き始めてすぐのタイミングで楽しみにしていた村岡ダブルフルが中止となり、いきなりショックの大きいスタートとなりました。
 自分の練習プロセスや考えを綴るようになったことから、「しっかり襟を正さないと」と思った結果、6月には初めて月間走行距離が250kmに達しました。

 この間「アルファフライ転売問題」がランナー界を賑わせるようにもなり、私も1本記事をしたためています。(今もまだまだですが、半年前の記事はやはり体裁が拙く感じました)

【記事】アルファフライについての雑感

 その後も何度か転売問題を書く機会はありましたが、半年経っても浅ましい考えの者は少なくない、ということに怒りと嘆きが入り混じってモヤモヤしているところです。

6月走行距離:251.2km

 この後は7月から12月にかけての「下半期編」に譲りたいと思います。