「諦めろ」と簡単には言えない

オリンピックの是非が「分断」を招く

 7日夜にTwitter上に投稿された池江選手のツイートが、オリンピックの開催か、中止かの意見を巡って方々に波紋を投げかけています。
当然、アスリートの皆さんは、「あるものと思って準備をする」ことしか出来ない状況だと思います。これは市民ランナー界も通ずる面はあり、大会が中止になるかどうか不明である以上は、「あると思って準備」とするしかないのが実情です。
 しかし、池江選手のツイートを機に、「開催派」「中止派」双方の先鋭的な意見が更に尖り、分断が加速する状況に陥っています。このような形で、選手が開催と中止双方の立場の矢面に立たされる状況は、決して肯定されるべきではありません。

開催の見通しは厳しいが

 現状、オリンピックの開催は難しい、と言わざるを得ません。COVID-19の感染拡大を抑止するため、市民ランナーが集まるマラソンが出来ない状況で、多くの国から選手団を受け入れるのは同様に難しいと言えます。医療従事者の皆さんをオリンピックに送り込み、それで手薄になった一般医療が崩壊することは、決してあってはなりません。

 しかし、「あと3年待って下さい」と簡単に言い難い面もあります。選手の皆さんは、東京オリンピックにて最高のパフォーマンスを見せよう、と準備をしてきたのは、想像に難くありません。私自身、非常に複雑な思いです。ここは、国を司る行政府の決断が試されている場面です。「諦めろ」と述べるのは簡単なことですが、今の状況だと、それはただ投げるだけで、相当な傷を伴いかねない言葉となるように感じます。

開催派、中止派に求められること

 私自身、現状オリンピックの開催困難、との立場ですが、開催不可能となる以上は、国や関係機関が丁寧に選手をフォローアップせよ、と考えています。間違っても選手を矢面に立たせる真似をしてはいけません。況や「運が悪かった、諦めろ」で済ませる振舞いも厳に慎むべきです。
 他方、開催派の関係機関は、「具体的にどういう対策をするのか」「万一の時はどうするのか」を徹底して語るべきではないか、と思います。それなくして、「中止の2文字はない」の1点張りでは説得力を欠きます。

 本番まであと2ヶ月。熟慮検討しながらも、なるべくダメージを小さく留めることが、今求められることではないか、と私は考えています。