平城宮跡歴史公園トライアルマラソン参戦記

2020年の走り納め 

 昨日12月19日は、奈良市の平城宮跡歴史公園にて、関西圏では最後のトライアルマラソンが行われました。サブ3を目指して出発した2020年。1年間ずっと新型コロナウイルスに振り回され、大会のスタートラインに立つことすら叶わない日々が続きました。

 そんな中、力試しの舞台が整えられ、こうして奈良の地を今年の走り納めに走らせて頂けたことに改めて感謝し、42.195kmの道のりを振り返りたいと思います。

結果

フルマラソン 2:56'49"(4'11"/km) (PB)

出発~会場着まで

 4時15分に起床し、ラジオを聴きながら最後の持ち物チェック、朝食(カーボローディングの最後として粒あんたっぷりの食パン中心に食べました)を終え、7時前に出発。

 往路は阪急電車で大阪梅田に出て、JR環状線と近鉄電車を乗り継いで大和西大寺駅へ。平城宮跡の会場入りはスタートの約30分前のことでした。開会式も無く、整列が直前である、ということからゆっくりし過ぎた結果、スタート前にバタバタすることになったのは反省しかありません。

朝9:30、号砲鳴る

 慌ただしくウォーミングアップを済ませてスタートラインに立ったのはレース開始約3分前のことでした。第1ウェーブを見送り、9時31分に私の属する第2ウェーブがスタートしました。

 レースでは、とにかく中間点まではジタバタせず、3時間ペースを守って走り続ける、というつもりで組み立てよう、と走り始めました。

前半10kmまで

5km毎のスプリット:21'11"-21'12"

 前半10kmまでは先程述べたように、フルマラソン3時間ペースの目安となる4'15"/kmで安定させることを考えた走りに徹しました。

 スタートからしばらくは風も穏やかで走りやすいコンディションでした。
 そのため、2.5kmコースを2周走り終えた5kmぐらいで4'15"/kmのペース感覚を掴めました。この間ペースを落としてしまった場面もありましたが、時計を「ラップ平均ペース」のページで固定し、ずっと「4'15"」という表示をベースの水準に狙って走っていました。

 今回のトライアルマラソンでは給水はペットボトルのポカリスエットと水の2種類で、私は最初の周回でポカリのボトルを取った後、それをランニングリュックの前ポケットに収めようとして失敗し、結局この辺りはボトルを手持ちしながらずっと走っていました。

中盤:我慢のレース展開に

25kmまでの5km毎スプリット:21'06"-21'12"-21'06"
 10km手前頃には、「サブ3ペースで刻んでいる」ということが集団内で共有され、自然に集団が形成されました。私はたまたま先頭を走っていて、すぐに「ペースメーカーとして使われている」と分かりました。途中、誰か代わりに引いてくれる人はいるだろうか、と集団を見渡したものの、結局出される形で先頭に収まることになりました。
 結果的には、ここで先頭に立ってマイペースランニング出来たのが良かったのかもしれません。

 おおよその中間点も89分台前半で通過し、サブ3への貯金はほぼゼロ。それでも、サブ3への目安となる「ハーフ90分」に対してビハインドを負うことなく後半戦へ。
 そこから25kmまでは極端な動きもなく、淡々と刻むことに専心しましたが、昨日は西寄りの風と霧雨が途中で降り、中盤はその動向も心配しながらの展開でした。

勝負所の30kmを前にレースが動く

35kmまでの5km毎スプリット:20'55"-20'56"
 25km通過時点ではほぼ一団で進み、それを先頭の方で引く展開が続きました。この辺りから足回りにアクシデントが「来るかも」という予兆をうっすら感じ始めました。そのため、確実に「持つ」というところまではスパート自重、と言い聞かせることに。
 ペースは大きな変動をしないように、と走ったのですが、終わって蓋を開ければ、この区間で5km21分を切っていました。この辺りから少しずつ集団が割れ始め、単独走へと最終的に移りました。一番苦しい区間で単独走となりましたが、とにかくリズムを崩さないことだけを考えて走りました。

 この辺りでは、去年の奈良マラソンのことを「今は天理か」「白川グラウンドの取り付け道路を走ってた距離だ」と回想したりもして、気を紛らわせていた時間もありました。

 35km通過時点で大時計が指していた値は3時間まで残り32分。蓄積したダメージとの戦いに移っていたこともあって、残り7.2kmを32分、どこまで足が持ってくれるか、と頭で考えていました。

35km~フィニッシュまで

スプリット:20'34"-8'37"

 35kmを過ぎると、終わりが見えたこともあり、それなりに頭と上半身は元気になってきました。積もったダメージとの戦いでもありますが、この辺りから4'10"/kmペースを切る計時が覗くようになり始めたことで、動きは悪くない、と数値に力をもらいながら走っていました。
 
 40km地点でオフィシャルの大時計は3時間まで残りが約12分となっていました。
 それでも、ここに最大にして最凶の落とし穴がある、と言い聞かせ、気を引き締めてファイナルラップへ。とにかく1秒でも削り出して万一に備えよう、と走ったところ、41km地点で時計はレースで初めて3分台を指しました。
 それでも気を緩めてはならない、と朝堂院の往復コースを抜け、最後の折り返しを回った後は1秒でも早くフィニッシュラインを駆け抜けたい、その一心でした。

 終わってみれば2時間56分49秒と、奈良マラソンのネットタイムからちょうど5分のPBでした。初めてのサブ3を達成しましたが、終わっての感想は嬉しさよりも「無事に今回も帰って来れた」という安堵が勝りました。

レースを終えての反省

 今回、目標としていたサブ3は達成することが出来ました。しかし、25km過ぎから太ももに、30kmを超えてからはふくらはぎにどんどんダメージが溜まる感覚があり、10月の加古川以来、苦しいことから逃げたツケが回った結果が今回だと感じました。
 SNS上で交流ある実力者のランナーさんと比べれば、まだまだ甘い、ということを突き付けられたことは間違いありませんし、今回は超フラットなコース設定に恵まれたもの、とも言えます。

 サブ3がフロックだった、という事態にならないことが当面の課題です。リフレッシュ明けはそれを意識しながら目標レースを設定し、2度目のサブ3、そしてあと2分足りなかったサブ55も見据えて挑みたいと思います。