「中止」の世論にどう向き合うか
大会再開の機運は全く見えず
3度目の緊急事態宣言下の兵庫県は、連日350人以上のCOVID-19新規感染者が発生するなど、依然厳しい状況が続いています。
新型コロナ 兵庫で22人死亡、361人感染 https://t.co/MebvUKvaGK#新型コロナ
— 神戸新聞 (@kobeshinbun) May 13, 2021
そのような状況下ということもあって、今のところ大会再開の機運は全く見えません。「ワクチンが切り札」という状況ですが、65歳以上の人にあまねく出回るのはいつか、皆目見当も付きません。政府は7月末には65歳以上の人の接種を終わらせたい、との意思を示していますが、現場が疲弊しても、ムチを振るってでも完遂するつもりでしょうか。
ランナーの在り方も問われる
私自身、政府分科会を始め、関係各機関の情報は「一旦受け止める」ということを旨としています。これら公の機関や専門家から発せられる情報に対し、ランナーもどう相対するかが問われているように思います。
ここで、「専門家軽視」に走る人々の存在が目に付く状況が、COVID-19の拡大後も続いている印象は残念ながら拭えなくなっています。「反自粛」を標榜する者の中にも、ウイルスの存在を認知し、その上で「恐れるに足らず」とする場合と、「でっち上げ」とCOVID-19自体が「作られた」と陰謀論を語る者とに分かれているように見えてなりません。
いずれの論も全く以ってふざけた物であり、そのような論を振りまく者に与することは出来ません。極めて優れたトレーニング理論を有し、その分野での見識が深くとも、その一点で以って傾聴するに値しない、と言えます。折しも、日本の感染状況を「さざ波」と例え、「笑笑」などという物言いをする大学教授の発言が物議を醸しました。その教授の人倫にもとるとも言える発言と同じ次元である、と指摘したいと思います。
厳しい世論にどう向き合うか
今、大会を中止せよ、との世論は極めて強いものです。オリンピック然り、市民参加型大会然りです。が、国内レベルの大会が開けないのに、況やオリンピックをや、と言わざるを得ないことは動かぬ現実です。
市民参加型のマラソンは、厳しい世論に対して「開催強行」と取られてしまえば、大会への合意を失うことも懸念されます。ランナーの側が、「報道が煽るから悪い」「恐れるに足らず」と主張を展開することは、現況を軽視していると取られて然るべきと思います。謙虚にCOVID-19に関する数字と向き合うことが、状況好転時に大会のスタートラインに立つために求められる姿勢である、と強く感じています。