ロードレースは合意形成が重要

「上から目線」ではいけない

 昨年2月中旬以降、全国のロードレースがCOVID-19の影響を受けて中止される事例は少なくありません。「大会」というモチベーションの源泉を失ったランナーも、肩を落とす人、切り替えて前を向こう、とする人、「観戦はOKなのになぜロードレースはNGなのだ」と受け止めは様々です。
  日常の練習でも、マスク不要論を必要以上に振りかざすのは慎むべきではないか、と思います。判断は適時適切に、というのが最重要です。マスクを着けない練習時は、その他の対策を施すこと(密集・密接の回避、不必要な会話を避ける等)を怠ってはいけない、と思います。

レースは主催者の骨折りあってこそ

 2/18に、静岡県の日本平桜マラソンが大会を廃止する、と発表しました。COVID-19感染終息の見通しが立たないことから決断した、とのことが挙げられています。
(出典:日本平桜マラソン大会HP「新着情報」から「日本平桜マラソン大会廃止のお知らせ」)

 今後、日本平桜マラソンのように「大会廃止」や「無期限延期」が発表される大会は少なくないと言えます。これはCOVID-19ワクチンが安定的に市中に出回るまでは継続するのではないか、と思います。
 主催者としても「マラソンがクラスターになった」との最悪の事態を想定して動くと、防衛策を取らざるを得ない点は理解に苦しむものではありません。走れた大会は様々な事務折衝の上に成り立っている、ということ、これを改めてランナーに問うていると言えます。

 普段走らない一般の方から、「なぜ公道を締め切ってレースするのか」「邪魔だ」との声があるのは承知しています。これまでの大会は交通規制のコストと大会のベネフィットを見極めて判断されていた、と言えますし、その点で丁寧にランナーと市民社会との合意を図っていくことがこれまで以上に求められていると感じます。

自由至上主義には与しない

 世の中には、COVID-19での行動変容の要請に対し、自由を奪うな、と叫ぶ者がいます。その意見を表明する自由は認めますが、意見に対しては私自身厳しい姿勢で臨みます。
 憲法の「公共の福祉」の観点から、フリーハンドでいついかなる時も、誰にも自分の行動を止める権利はない、とすることは全く望ましくありません。

 科学を軽視し、「自由こそ至上」と訴える者の言葉に如何ほどの価値があろうか、と最近特に思います。専門家の言葉に耳を傾け、自らに落とし込み、今何が求められているのか、という問いを基に行動は判断されるべき、私はこう考えます。
 常に公共の福祉と天秤に掛かるものが自由です。ランニング界でもそうで、望ましい状況を作るためには地道な実績の積み上げと人口の数%に過ぎないランナーと他の人々との丁寧な合意形成、この2点を無視してはいけない、と1年を経て強く思います。