夏にマスクランする、ということ

 おはようございます。
 今朝は、COVID-19がもたらした「マスクラン」についてあれこれ書きたいと思います。

 梅雨が明け、猛烈な暑さが訪れましたが、マスクやバフを付けて走っている方を見かける機会は少なくありません。
 私の住む神戸は、梅雨が明けた後は熱帯夜が続き、朝5時過ぎでも26℃は当たり前、日中も30℃を大きく超える真夏日が続いています。こんな状況でマスクランをすることは、「考えられない」としか言えない状況です。

 なぜ「マスクラン」が広がったか。
 回顧すると、発端には京都大学の山中伸弥教授の言葉があると思います。山中先生は4月に、朝日新聞の取材に応じ、走る時にウイルスをまき散らすかもしれないため、口を覆うものが必要、と訴えました。(記事
 ランナーとしても実力者の山中先生の発言は重く扱われ、ここから「マスクラン=常識」のような風潮が急速に形成され、固まっていったと感じます。

 私も一度だけ試しましたが、5月でも苦しさばかり残る練習となり、結局マスクランをしたのはその時限りでした。
 以来、早朝練習がメインになりました。朝5時過ぎの神戸は人も車も少なく、練習するにはちょうど良い環境です。
 早朝でも26℃から27℃程度あるのに、マスクをすると熱中症のリスクを上げ、危険極まりないと感じます。そんな中、1件のツイートが話題となり、私も引用ツイートで思うところを書きました。

 ミュージシャンのShun氏の8日付のツイート。周囲の気遣いを欠く人は代々木公園のような場所で走るべきではない、との主訴です。私は「人気のない場所を探す」ということで朝5時から走っていますし、ランナーとしてそこは善処すべき時はあると思います。
 とはいえ、後段の発言には極めて強い違和感を覚えます。

「社会への連帯を無視したランナーは、どんな優れた走りでも尊敬できない。」

 ランナー各人を尊敬するしない、というのは個人の信条の問題なので言葉を控えますが、「社会への連帯」をさも「当然の責務」と見なす姿勢が本当に正しいのでしょうか。かつて日本が辿ってきた道は、「欧米各国を敵と見なす社会」への連帯こそが個々人にとって当然、というもの。その末路は引用ツイートで述べた通り、語るまでもありません。
 市民ランナーには「制約」が付いてまといます。代々木公園のような、信号に邪魔されない環境でポイント練習をすることだってあり得るでしょう。夏冬関係なく「ポイント練習にマスクを使うか?」という問題もあります。この暑さの中、マスクランで熱中症にかかるリスクを甘く見るべきではない、とも思います。
 後にツイートは削除され、謝罪がありましたが、氏が述べた言葉は影響力が大きい立場である以上、今後とも検証されるべき言動と考え、私は敢えてそのまま残すことにしました。

 マスクランは当たり前にすべきことではなく、行うかどうかは自己の判断に委ねるべきものだと強く訴えたいと思います。もちろん、このご時世、ソーシャルディスタンスは考えるべきですが。