平和であるからこそ

 日本は75度目の終戦の日を迎えました。半月後の9月3日、アメリカ戦艦ミズーリ号の船上で文書に調印があり、正式に戦争が終わるのですが、ポツダム宣言受諾が公式発表された今日が一つの区切りとされています。

私は、今誰に咎められることもなく、この頃は毎日「暑い暑い」と言いながら過ごし、またマラソン練習を積んでいます。これは、日本が平和を保てているからこそ、享受できることなのだ、と改めて実感します。
 戦時中は、何か物を言うことさえ難しい時期だった、という事実。物を書き、公にするのでさえ、政府がそこに介入していた時代です。その時代に自分がいて、記録を留めておいたとしても、果たしてちゃんと後に残せただろうか、と思います。

 今は、マラソンを自らの健康と目的達成のために出来る時代です。やりたいことを好きな時に出来なかった先の大戦、あるいはそれ以前のことを思うと、世の中は色々意見はあれど、75年で大きく変わった、と実感します。その影には多くの命が失われた戦火があり、その上に今の世がある、と思うと、「平和」のバトンを次の世代へ確実に渡すことが自分に課せられた使命ではないか、と思います。
 理由を付け、争うことが時には必要だ、と言わんばかりに振舞うことが果たして良いことなのか。私も含め、今の人々に問われているような気がします。

 
 
 神戸市内、三宮の中心にある、JR三ノ宮駅。写真はアメリカ軍機が容赦なく神戸の街に浴びせた機銃掃射の痕です。何の説明書きも無く、阪神淡路大震災を経て生まれ変わり、賑わいを取り戻した神戸の街を今日も見つめています。

 2枚目の写真は、お隣にある阪急三宮駅。ここには、焼夷弾がホームの屋根を貫通した痕があります。何事もなく、75年に亘ってここを出発する電車を見続けてきた屋根です。

 これらを見る度、平和は自分の出来る範囲で絶えず努力を重ねないと簡単に崩れてしまう、と思えてなりません。
 平和なればこそのマラソンであり、日々の生活がある。それを改めて思った8月15日です。