ランナーも「トリアージ」されるのか

緊急事態宣言再び

 大阪府のCOVID-19新規感染者数の増加は留まるところを知らず、1000人を超えた後も高い水準が続き、とうとう兵庫県も「緊急事態宣言要請へ」とニュース速報で流れました。今回の措置では、従前からの措置よりも厳しく、最初に宣言が出された時のように、「テーマパーク・百貨店の休業」を要請する、との話が立っています。
 この状況ではマラソン大会を開こう、という状況ではない、というのは明らかですが、大会が再開されても、ランナーが「選別」される時代が来てしまったのではないか、と危惧しています。

参考①:神戸新聞 阪神総局・北摂総局Twitter(@kobe_hanshin)

参考②:神戸新聞 Twitter(@kobeshinbun)

「密」の槍玉に挙げられて

 マラソン大会が中止に追い込まれたのは昨年2月のこと。COVID-19については不明な点もありましたが、「密集した状況で飛沫にさらされるとリスクが高い」という話があり、密集する例として挙げられたことから、ことごとく「感染対策が困難」と中止されていき、大会がランナーの目の前から消えていきました。それから1年余り、状況は全く芳しくないまま推移しています。

 そんな中、オンラインマラソンがあちこちで企図されていますが、リアルな陸上の大会はトラックレースを除けば目処がほとんど立たないままです。人を減らすにはどうすれば良いか、というところで、「密の危険が生じる時間を減らす」としてタイムによる足切りのハードルをさらに高めることが懸念されます。

行きつく先は「ランナーのトリアージ」か

 そうして考えられるのが「ランナーをトリアージする」という発想です。これは、「トップ選手などエリートランナーに特化して大会開催」とするもので、基本的に市民ランナーは締め出しを食らうものです。
 大規模災害、事故などで使われることがある医療用のトリアージで言うなら「赤(緊急の手当が必要)」と「黒(回復見込み無しのため治療せず)」の2つしかタグがない状況といえるかもしれません。市民ランナーは常に黒タグを与えられ、力試しの場を奪われてしまいかねません。本当にそれが生涯スポーツの観点から望まれることなのでしょうか。
 オリンピックは今のままだと「開催強行」の4文字が目に見えてしまっている状況です。そこを含め、トップアスリートを「聖域の人間」とし、市民ランナーを「下々の者ども」と見立てるのであれば、日本のスポーツ文化そのものが死に絶えてしまいます。

 挑戦しようとするランナーが機会を得ることは最大限尊重されるべきものです。そのためにはCOVID-19を何とか今後封じ込めて行けるかどうか、これが問われています。ウイルスと共存する作戦が失敗した以上、この方向に進むしか大会再開の目処は立ちません。それを私も心に留め、身の回りで出来ることをやっていくのみです。