パラリンピックの閉幕に寄せて
13日間の熱戦、幕を下ろす
昨夜8時から行われた東京パラリンピックの閉会式。聖火が消され、13日間にわたって行われた大会は閉幕しました。選手間でのCOVID-19の流行、という懸念がありましたが、結果的にはつつがなく終わってくれたことには安堵するのみです。
東京パラリンピック が閉幕しました。#閉会式 の最後には「#この素晴らしき世界」に合わせて、#ミライトワ と #ソメイティ がキャストと手を振りました。
— 毎日新聞写真部 (@mainichiphoto) September 5, 2021
写真特集→https://t.co/24cgo1Ca1B#パラリンピック #Paralympics pic.twitter.com/8gLQVuths5
「Stay Home」を振り切ったマラソン観戦
しかし、昨日東京都心で開かれたマラソン競技では、沿道に人が詰めかける事態がまたも発生しました。「自宅でTV観戦を」と呼び掛けられながら、その要請を振り切ってまで「生観戦」したいと願う理由は何でしょうか。今はCOVID-19禍にあり、感染拡大防止のために個々人も全力を傾けるべき日が続いています。それに対する挑戦があって良いのか、と思います。
「マスコミが恣意的に『密』を見せているだけ」とは詭弁である、と考えます。少なくとも、そのような状況が発生していながら、「密は無かった」と言える理由が分かりません。これが続くことは、マラソン界に反対感情を抱かれかねない、と危惧します。
大会中止と健闘への賞賛の狭間で
過去の大会で、ここまで「大会を中止せよ」とのうねりが大きかった例は無かったように思います。私自身、現在の状況で大会開催を押し切ることに抵抗があったのは事実です。しかし、選手への健闘を賞賛することはまた別の話で、これらは両立し得るものでしょう。
オリンピック開催の是非に関わる意見と選手の健闘に対する意見の表明、別々にあって問題があるんでしょうかね。
— Aoba Hisaoka (@Aoba_Run_Alone) July 25, 2021
開催に慎重の立場を取れば「おめでとうございます」「お疲れ様でした」の一言すら言う資格が無いのか、と。
開幕直後、私自身こうツイートしました。中止を唱えれば、選手の活躍を素直に称えることすら許さない、そういう風潮も見えたオリパラでした。次のオリンピック、パラリンピックはもうすぐ、2022年の2月から北京で開かれます。果たして、どういう形になるのか、観客を入れられるのかが注目です。